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あの日から75年。ヒロシマの原爆の記憶

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私が生まれ育った街、広島。
美しい街、広島。

8月6日の今日、75年目の原爆の日を迎えた。

 

今年はコロナで式典も様変わりしていているけど、

75年前の、暑い夏に起きた出来事に想いを馳せる、

そういう気持ちには変わりはない。

 

 

 

8時15分 1分間の黙祷

 

 

 

子供の頃、毎年の様に学校で平和学習をしても、
戦争を身近に感じることはなかったけれど、
母の言葉は今も忘れられずにいる。


まだ小さい頃に、広島の本通りを歩くと軍服を着た、

片脚のない人が座って、お金を恵んでもらっていた。

 

「 戦争で怪我をしたのね。可哀想に… 」

 

そう言って、

母は幾らかの小銭を丸い皿の中に投げ入れた。

幼い私は、怖くて近寄ることができなかった。
そんな私を見たからなのか、

母はのちにこんな話をしてくれた。

 

「 母さんが10歳の頃は戦争中でね、

火傷をしていた人を家の横の蔵で
面倒を見ていたことがあったの。

ピカドンにやられて火傷がひどくて。
ぐるぐる巻きの白い包帯の交換をしなさいって、

親に言われたけどすごく臭くて嫌だった 」

 

母からそんな話を聞いたのは、
それが最初で最後だったと思う。

 

「 怖くて泣いていたら、その人が私の手に触れて」

 

驚いた母はそこから逃げ出した。
それから間もなく、その人は亡くなったらしい。

 

「 母さんね、その時のことを思うと、
ひどいことをしたなって、申し訳ない気持ちになるの」


お母さん、
私が知らないところで、沢山悲しい思いをしたんだね。

 

原爆が落ちた8月6日、75年前の今日、

あの時、確かに生きていた。
たくさんの人達が生活をしていた。

 

なのに、
原爆は一瞬で多くの人々を焼き殺した。

そして、生き残った人達に
一生忘れられない傷を、心と体に残した。

 

私達の今の幸せは、あなた達の犠牲のもとに
成り立っているということを忘れてはいけませんね。

すべての人が これからも平和でありますように。
そう祈りながら原爆の日を迎えます。

 

合掌

 

 

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
すべてのにんげんをかえせ

にんげんを にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ


~峠三吉 平和詩集より~

 

 

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