どーも、どーも。
実家に財力と誠意がない人と結婚しても
苦労するからやめればいいのに。
と、思っているはちこーんです。
ど庶民との結婚ならともかく、
恐れ多くも皇族と結婚したいとぬかす奴が、
借金であれ、贈与であれ、400万ぽっちが
払えない、払いたくない。
そんな、
ケツの穴が小さいことを言ってること自体、
どうなってるんだ(`ε´)/←口悪っ
さて、別世界のことは置いといて、
今日のブログは滋賀県近江八幡の
お食事編でございます。
旅行の2日目は天気予報通り、
朝から雨、そして風。。😑
初めてホテルに連泊したけど、助かった…。
連泊ならホテルでずっと寝ていられるもんね。
とは言え、せっかく近江八幡まで来たからには
観光ができないなら、せめて食事くらいは
パッと豪華にしなくっちゃ。
昨夜のご飯なんて、これだもの。😭
2日目は、滋賀県を旅しようクーポンを使って、
鰻を頂いちゃいましょう。
夕方には雨も上がってきました。
炭櫓は収容人数100名超の大きなお店。
駐車場も広くて◎
お昼抜きで挑む夕食よ。
旅行じゃなければうなぎなんて食べれないわね。
鰻は1年前に大分の日田で食べた以来なの。
夕食のスタートは5時から。
いいね、一番乗りだから誰もいないじゃん😆
炭櫓は、滋賀・京都で食事処を展開されている
【一休庵グループ】の中のひとつ。
人気店らしいけど、コロナの影響なのか
お客さんは少なめ。
店内は広くて、掘りごたつ式のテーブルに
案内されました。
他に、座敷や個室もあるらしい。
特上うな重4,080円。😩
いくらクーポンがあるとはいえ贅沢すぎる。。
ひつまぶしならお手頃なお値段だわね。
近江牛も鰻も食べたいから悩むわ〜。
で、注文したのがこちら。
2,650円の近江牛ひつまぶし(鰻付き)
クーポン2,000円分使って650円で食べれる幸せ。
ど庶民はこれで十分でございます。
旨味と甘みが強い日本三大ブランド牛の近江牛。
たっぷりお肉が入ってる!
ネギも海苔もたっぷりや〜〜
1膳目、ウナギと海苔のコラボで香りを楽しむ。
2膳目は、さらしネギをのせてシャリシャリとした歯ざわりを。
3膳目は、薬味をのせてお茶漬けで。
で、鰻の蒲焼も2切れついてます。
パリッとしてるのにふわっとした食感。
うま〜〜。
そのまま全部食べてもうたじゃないの。😩
こちらの近江牛も柔らかで、
うんまっ 、
最後は出汁茶漬けでいただきました。
お肉でもあっさり食べれるひつまぶし最高!
自己負担650円最高!
ところで、
ここに来る前に雨が小降りになったので
観光を1つ入れ込みました。
安土城天主信長の館
建物がいくつかあって、
どれが信長の館なのか分からずにウロウロ。
信長の館は文芸の郷という敷地の中にあって、
他にもいくつか施設があります。
文芸の郷の敷地内にある安土城考古博物館との
共通券(980円)をクーポンで払って入場。
VR安土城シアターが上映されるというので
入ってみることに。(15分)
ルイス・フロイスが城を訪れて案内されるという内容。
映像も綺麗だし、内容も面白くてよかった。
92年のスペイン・セビリア万博に出展された
安土城天主の最上部5階&6階の部分です。
原寸大で忠実に内部の障壁画と共に復元され、
万博終了後安土町が譲り受け解体移築したもの。
シダの葉の前立てが特徴的な徳川家康公の兜は
繊細さがあり、高級感を感じられます。
と、徳川家康の五月人形の説明に書いてあった。
馬藺後立(ばりんうしろだて)の兜。
植物の菖蒲の葉がモデル。
ぐるっと回ってみると、
金箔の壁と「釈迦説法図」の襖絵に囲まれた
朱塗りの床の中央に畳が2枚敷かれています。
豪華絢爛な安土城は築城からたったの3年で焼失。。
あまりにあっけなく迎えた終焉は、まさに信長そのもの。
この献立は家康が安土に来た際に明智光秀が
接待役をしていて、用意したものらしい。
すごくたくさんの献立が復元されていて
全部は載せられないけど、どれも美味しそう。
レプリカの説明には
「支度が行き過ぎである」と
信長が光秀を叱責したと記述あり。
光秀が本能寺の変を起こした説のひとつだよね。
私が信長役で真っ先に思い浮かぶのは、
1983年の大河ドラマ『徳川家康』の
当時27歳だった役所広司さん。
まだ無名に近い若手ながら信長という大役に抜擢され、
エネルギッシュな信長を演じ一躍注目俳優に。
因みに織田信長役の人気ランキングでは3位。
1位は「利家とまつ」の反町隆史さんなんだって。
観てないし〜〜。😑
この肖像画は、当時の宣教師が書いたもので、
信長に最も似ているらしいけどイケメンだね。
6階部分に階段で上がれます。
どこから見ても金キラリン✨
「金箔10万枚」を使った天守は見事だね。
障壁画は狩野永徳のものと伝わっています。
狩野英公じゃないぞ😆
こんな落ち着かないとこに信長は座ってたのか。。
なーんて、妄想してみる。
そういえば、天守に住んでいたのは信長だけらしい。
名だたる戦国大名も天守には住まないで、
城の本丸や二の丸などに造られた御殿に住み、
政治を行っていたんだとか。
志村けんのバカ殿だって天守には住んでないのだ。←
そもそも、天主は「権力の象徴」であったり、
「籠城戦の際に立てこもる最後の砦」としての向きが強く、
居住用には作られていないんだとか。
こういう場所を訪れて歴史のロマンに浸るのも
楽しいと思わせてくれる展示内容でした。
一見の価値ありですよ。