「いいな、すごく良くなった!」
嬉しそうに父が言う。
自分一人で出来ることが嬉しいんだね…
ごめん、気がつかなくて。
父が亡くなってもうすぐ8年になる。
脳梗塞で倒れて、右手右足に麻痺が残り、
介助をしながらの同居生活になった。
やはり困るのは、トイレと入浴だった。
一人でトイレットペーパーを
切ることができないので、
一回分を適当な長さに切る。
丸めたものを何個も籠に入れておく。
自宅は改築したり、手摺りをつけたりしたものの、
不便さはあちらこちらに残る。
トイレットペーパーのホルダーは新築の時に
わざわざ変えてもらった木のホルダーだった。
健常者なら普通に紙を切れる。
でも、父は手が不自由なので
一人で紙を切ることはできない。
引っ掛からないから。
「 籠に入れておくね。何枚でも使って 」
何か言いたげな父の顔。
気が付いていたけれど、
そのままトイレの扉を閉めた。
何日か経って、紙を置くのはやめてくれと言う。
自分一人でも出来るからと。
できないことが分かっているからしてるのに…。
「 いいよ、やってみて 」
出来ないことを出来ると言い張る。
長く垂れて、足元で溜まったトイレットペーパー。
下を向いて父が泣いていた。
元気な時には、一人でなんでも出来た。
大好きな釣りも、松の剪定もお米や野菜も沢山作って。
その父がトイレで泣いている。
「自分で出来なきゃダメなんだ」
だって、できないじゃん。
私は心の中で叫んでいた。
一人でお風呂に入ることも
着替えも、歩くこともできない。
現実を受け入れて欲しかった。
9月に父との同居が始まって、
その年の12月に主人が亡くなった。
小5の息子と少4の娘の育児と介護。
それにパートの仕事。
父に十分な時間を取りながら
看ることができなかった。
車に乗って一人になると
涙が出て泣けてくる。
しっかりしろよ、
頑張らなくちゃ。。
ある日、デイケアのトイレなら
自分でも紙が切れたと父が言う。
よく聞いてみたら、蓋の部分がギザギザで
紙が引っかかるので左手だけで切れるみたいだ。
すぐに注文して付け替えてもらった。
「これで1人でも出来るね、お父ちゃん」
「おお、出来るぞ」
嬉しそうな父の顔を見ながら、
自分は間違っていたと気がついた。
できないことを認めさせるより、
一人で出来る事を見つけてあげるべきだった。
今でもトイレに入ると時々思い出す。
嬉しそうに笑う父の顔を。
ホルダーの横に 度々ウンチが
ついてるのを見つける度に
ギョッとしたこともね。
普通のことが普通に出来る幸せ。
自分のことは自分で出来ないと
生きるのが辛いよね。
小さな出来事が教えてくれた。
ありがとう、お父ちゃん。