とうとう世界文化遺産登録が決定しましたね!
訪れた時はそんなことになるとは思いもせず。。
このニュースを見て混む前に行っといてよかった。
観光客がわんさかって嫌だもんね
4月23日(火) 7:30出発
さて、佐渡の3日目も観光がびっしりでございます。
先ずは、昨夜のライトアップがよかったので
相川地区にある産業遺跡群のひとつ
北沢浮遊選鉱場跡に再びやって来ました。
昨夜は、こんなだだっ広い所に1人ぽっちで
不気味な音楽が流れてるし、怖かったー。
これは照明とスピーカーね
ここは鉱石から金や銀を回収していた施設。
鉱石処理鉱量は、1ヶ月5万トン以上❗️
佐渡金山の採掘のピークを支えた鉱場です。
今は屋根などが無くなって、朽ち果てた土台だけ。
明治時代の北沢浮遊選鉱場
今と違いすぎー
アニメ「天空の城のラピュタ」に似てる?
「佐渡のラピュタ」と言われているんだって。
似てるっちゃ似てる。
あまりに大きすぎて全容が写せないので
フリー素材から拝借。
私のスマホの写真とは全くの別物
向こうの建物跡は、まるで要塞跡みたい。
製材及び雑作業場跡・50メートルシックナー。
シックナーは、工業用水を確保するため、
水と不純物を分離する装置。
不純物は捨てられ、水は選鉱場で再利用されました。
ライトアップされた方が幻想的でいいな。
7:45 相川金銀山到着
8:00の開館に向けてお掃除、お疲れ様です。
江戸時代に掘られた坑道を進む「宗太夫坑コース」と
明治~昭和に掘られた「道遊坑コース」の2コースがあって
どちらか単独でもOKだけど、
そこはそれ、ケチケチせずに両方で!
道遊坑(近代コース)
大人1,000円、中学生500円
宗太夫坑(江戸時代コース)
大人1,000円、中学生500円
宗太夫坑・道遊坑見学共通券
大人1,500円、中学生750円
先ずは宗太夫坑コースから。
坑道内の階段約300段とスロープを下りる。
坑道の中はひんやり〜〜
1603年〜平成元年迄の400年近く
採掘が続けられた佐渡金山。
閉山までに開削された坑道の総延長は
何と約400km(佐渡~東京間)!
江戸時代の採掘作業の様子が
人形によって再現されています。
なんか、誰かに似てる。
まだまだ続きます。
この水替え人足も誰かに似てる。。
目黒祐樹⁉️
最前線は金堀大工が油製ランプに灯りを灯し、
なるべく小さな断面でツチとタガネで掘り進む。
大きな鉱脈をさがすため、
細い鉱脈をたどりながら掘り進む坑道は、
狸穴と呼ばれ、腹ばいで移動するほど狭い。
これは狸穴の絵だろうね。
きっつー
鉱石を掘る人、鉱石を外へ運ぶ人
鉱石を割る道具がすり減るのでそれを交換しにいく人
どこを掘り進めるか決める人、山が崩れないよう支える人
重労働の排水をする人、、
すごいなぁ、只々関心するばかり。
幕末に江戸を始め、幕府直轄地の大阪・長崎から
1800余人の無宿人が相川金銀山に送られてきました。
幕府の治安対策で捕えられた住所不定の人たち(罪人ではない)。
悪環境の中での過酷な労働のため、寿命は大体5年程度。
犯罪者の流刑地のイメージがあったけど
政争に敗れた貴族や知識人が流される事が多かったらしい。
(順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥など)
間歩(採掘坑)開きの祝いシーン
背後の壁面の縞模様が立合(鉱脈)
富鉱帯を大発見の場面で、
間歩開きの祝いが始まったところ。
手前で見守っているのが、
山師(間歩を稼行する者、採掘を請け負う)と
金児(かなこ・採掘場を取り仕切る者)で、
立合前の足場の下に座っているのが金穿大工。
足場の上では、佐渡金山に伝わる
独特の祭礼「やわらぎ」が演じられています。
人形は、動かないものは約30万円、
動くものは100万円以上!
宗太夫坑から出て橋を渡ると展示館があって
展示室も盛り沢山な内容で目が疲れた←
完全にアリの巣。
大判小判だ!
当時の仕事の様子を500体の人形で再現。
12.5kgの金塊を出すことができれば
記念品が貰えるコーナー
3312人も達成していることに驚き。
コツは
金塊を持ち上げて腕の上に載せて出す
よっしゃー、( ̄皿 ̄*)
まず重くて持ち上がらないっ!
ここを抜けると道遊坑の出口のお土産物屋さんに合流します。
金の延べ棒羊羹いらんわー
小判チョコがお土産1位かぁ、などと思いながら
外に出ると売店があったり、
金箔ソフト食いてぇ〜
お庭を眺めながら休憩できたりします。
水上輪(すいしょうりん)
1653年に佐渡鉱山にもたらされた坑内排水(揚水)ポンプ。
ハンドルを回転させ筒を通りった水が下から汲み上げられ
上部の口から排出される仕組み。
展示にもあったけど大変な作業だね
入り口に戻って、次は
明治~昭和に掘られた「道遊坑コース」へ。
江戸時代は、江戸幕府(佐渡奉行所)が運営していましたが、
明治初期には、明治政府による官営鉱山となり、
外国から技術者が招かれ、また、部屋頭の下に、
鉱夫などの労働者を配しました。
坑道にはトロッコが通っていて
壁も塗り固められてたりする。
江戸時代とは明らかに違って近代化してるねー
そう、このピカピカしてるのは
プロジェクトマッピング。
道遊坑口から外に出ると、トロッコの線路があって
昭和10年に建てられた機械工場へ辿り着きます。
すごい!機械だらけです。
でも、余り興味がないので外へ。
工場に沿って色んな展示が続きます。
採掘量のピークは1940(昭和15)年頃。
昭和に入り、技術が発達したことから
多くの金を採掘・抽出することが可能になったのだそう。
明治22年、佐渡金山は三菱合資会社に払い下げられました。
ガラスに三菱マーク?
あった!
地中鉱脈を採掘するための地中エレベーター
道遊の割戸まで徒歩7分。
桜が満開なら綺麗だろうなー。
道遊の割戸
佐渡金山のシンボルと言えばこれ。
これは江戸時代、坑道を掘る技術が乏しかったため、
露天掘りといって山の上から切り崩すように掘っていった跡。
上までは行かずに機械工場まで戻ります。
トロッコのレールに沿って歩く。
採掘された鉱石が破砕場へと運ばれて行く展示あり。
トロッコの線路をたどって行くと、高任坑へ。
明治20年にもなると、トンネルが立派だこと。
約1時間半、なかなか見応えありました。
さて、次に行ったのは京町通り。
京町通りを山側に上って行くと、
蔦の這う高さ3mほどのコンクリート塀が見えてきます。
新潟刑務所相川拘置支所として、昭和29年に開設され、
佐和田地区に移転する昭和47年まで使用されていました。
その後、払い下げを受けた旧相川町の所有になり
現在は佐渡市で管理されています。
現存する木造の拘置所としては全国的にも珍しく、
外観・内部ともほぼ当時のまま残されている貴重な建物です。
誰もいませんかー?
緊急事態って何⁉️閉じ込められるとか⁉️
自分で扉の鍵を開けて入ります。
おじゃましまーす。
キャー なんか怖い
受付で記帳していよいよ中へ。
なんか、独特の臭いがするよねー
刑務所内の見取り図
宿直室
湯沸かし室、用務室
支所長室
調室
炊事・倉庫棟に続く廊下入口にある頑丈な鉄柵扉。
炊事場、食糧庫、文書庫
入浴場
入浴は1週間に2回、時間は15分。
居房棟
3名定員の雑居房(3室)
独居房(6室)
3畳の広さ、十分ですな。窓もあるし。
医務室
なんか分からんけど、こんな窓とか
灯りとりの窓とか、
ちょっと頑張れば脱走できんじゃね?
桜の木によじ登って大脱走
鍵をちゃんとかけてさようならー。
さて、この後は、
尖閣荘の女将さんが教えてくれた大間港跡へ。
夕陽のお薦めスポットらしいです。
入り口にはこんな案内板しかないので
普通に通り過ぎてしまい、ウロウロ。
反対側から来たら、まず分からない。
大間港は相川金銀山の鉱石や資材の搬出入を目的に、
明治時代に埋め立てにより造られた人工の港。
明治時代、鉱石は大立地区で採鉱され、
間の山・高任地区を経て、北沢地区で
選鉱・精錬され、大間地区の港から積み出されました。
山から海まで、一連の作業工程に従って繋がっていました。
【人造石】
消石灰と真砂を混ぜて水で練り叩き固めたもので、
耐水性・耐久性に優れている。
トラス橋
この橋の下に小船が入って、貨物を積み込む。
かなり小さな船しか入れない感じ。
遺構感ありすぎてボロボロ
貨物の荷揚げにはクレーンが用いられました。
ローダー橋は、貨物を運ぶクレーンやトロッコが通った橋。
昭和13年(1938年)の様子
佐渡鉱山の鉱石は、ここから船に積み出され
火力発電所の燃料になる石炭が運び込まれました。
あれはなんだい?
波がザッパーン
大間港跡、観光地化されてないけどよかった!
鎮目市左衛門の墓
鉱山が最も繁栄した元和期の佐渡奉行の方のようです。
遺言によって、相川の街から離れた海岸に
墓を造らせたと言われています。
今のお墓は、弘化年間に再建されたものです。
海岸に行ってみると
岩の色が水色なんだけどなぜだろう。
分からんけど綺麗だった。
少し歩いて上がると
弁慶のはさみ岩
落ちそうだけど落ちない、私の体重と同じ。
落ちろ〜 (/ ̄p ̄)/
この旅行の過去記事はこちら↓